「これは~焼になりますか」

こんにちは、今回は焼き物の枠組みについて簡単にお話ししようと思います。

すでに詳しい方というより、これから知っていく人向けのお話になります。

そんなに難しい話でなく、ちょっとした見方です。

そもそもなぜこの話をしよう思ったというかですが、

「これは~焼?」

まず多くのお客さんがパッと見ておっしゃる言葉で、ギャラリーの方(焼き物は専門外の場合)でもいわれたりします。

実はこの質問、少し困るというか説明しづらかったりします。

これには、現状をふまえた説明をしないと説明しづらい部分があり、あまりに簡単に説明してしまうと誤解が起きそうなことなのです。

では順を追って話していきましょう。

焼き物には、まず陶器と磁器があります。合わせて陶磁器ですね。

ザックリいうと陶器が土を焼き変化させたもので、磁器は磁器になる石を溶かして作ったものです。本体の原料が違います。

細かくいうと土の原料も様々な違いがありますし、土と磁器を混ぜることもあります。

昔ながらの焼き物は、この原料の違いが特性になります。

焼き物の産地とは簡単に言うと粘土の産地なのです。

この一文だけですと信楽由来の原料で信楽で作ったものは全て信楽焼という事にもできそうですが、今はそういうわけでもありません。

~焼というものは古くからあり、その産地特有の個性というものが顕著にありました。土は土でもそれぞれの種類があり、それに応じた焼き方がというものがあります。

その結果、独特で力のある焼き物ができてきました。

例えば信楽焼なら、荒めの白土に長石の吹き出し、そこに緋色が発色し、灰の溶けた緑がかかっているという具合です。

つまり古来は、産地と原料はほぼ一致で、焼き物の出来上がりに共通した雰囲気があります。

なので古来のものは分類が産地の名前でよいのです。

私は信楽焼のほかに志野焼もしますが、信楽で作っても志野は志野です。細かい名はありますが志野になります。原料は取り寄せですし、当然の話ですね。

 (志野焼とは美濃焼のひとつで、他にも織部も有名で本場です。美濃は広い一帯の区分です。)

他にも沢山ありますが、問題は全ての焼き物がこの~焼というものに、厳密にはカテゴライズされないという事です。

伝統的なものをベースに変則的な製法で特徴の違う焼をしている人もいるのです。それでも~焼というカテゴライズに入れることはできそうです。

しかし現代の焼き物には、ここにもあてはまらないものが多くあります。

よく窯元なのでみかけるものはそうですし、作家のイベントでもほとんどはそうです。

有名な信楽の狸もそうです。信楽焼の製法で無ければ信楽焼ではないです(見方によるかもしれませんが)。もちろん信楽焼で狸をつくれば信楽焼きの狸になります。

現代の陶器の多く、正しくは古来の製法でないものは、土や釉を販売する会社が合成していろいろなものをつくりだしてます。

それを使えば一定のものができ、それにはもはや産地は関係ありません。(今は環境の影響は除外していますが)

自分で調合している方も多くいますが、その人が別の産地に引っ越ししても同じものをつくれるでしょう。

それはその人の調合と焼成なのです。

私も現代的な焼き物も作っていますが、それは私が実現したかったもので産地は関係ありません。

場所が変わっても似たような材質感のものをつくるでしょう。

企業に出回っているものはどこでも見れますし、個人でやっているものは、その原料を扱っている人たちにしかできない独自のものですが、どちらにしても現代の焼き物は古来の~焼というカテゴリーに属さないものも多くあるのです。

簡単に言ってしまうと、現代の陶器の分類は、制作場所=カテゴリー(~焼)ではないということです。

しかし、昔はほぼそうだった。しかし今は関係なくなっているものも多くあるということです。

わかれば簡単なことですね。

ただ、話がややこしくというか、混乱してしまう理由はそれだけではありません。

今までの説明の間になるような作家もいるでしょう。

それに、立ち話ではあまり長い説明をお客にしなかったりします。

ちゅっと困るのは、何でも~焼きと自称する人がいたりすることです。話がややこしくなるからやめてほしいのですが。

私見になりますが、昔からのものは、それはそれとして尊重し(実際にすごいものが作れますし)、新しいものは新しい枠組みで評価するべきなので、とりあえずは名前にこだわりすぎない方が、観るという点において良いと思います。

そんなに重要な話でもないけれど、よく聞かれるのでお答えしました。

まぎらわしいせいで話が長くなってしまいましたね。

今も残っている~焼というものを特徴として楽しみつつも、新しいものも楽しんでいただけたらと思います。